測り知れない哀れみによって

私が四歳の時、両親が離婚し、祖父母に引き取られて後、父の弟嫁にあたる叔母が私のために祈ってくれました。「あっこちゃんが大きくなったら、イエス様を信じる子になりますように」。叔母は熱心なクリスチャンでした。私は祖父母の深い愛情に包まれていながら、どこか子どもらしくない歪んだ秤を持って、世間を見ていた気がします。中学生の頃、叔母はこう問いかけました。「人間は何のために生きているかわかる?」私には答えはなく、叔母も答えはくれませんでした。

 

二十歳の頃、求婚されました。いざ結婚となると幼い頃からの歪んだ秤が顔を出し、結婚する喜びより、離婚の恐怖におびえる異常な感情を抑えることができませんでした。私は誰にも相談せず、結婚式を直前にして破談するということをしてしまいました。そして、私をいつくしみ、愛してくれた人々を悲しみに陥れてしまったのです。私は家を出ました。二十二歳の時でした。浅はかな選択でした。

 

その後、五年間は罪の呵責と後悔で、自暴自棄な生活を送りました。生きる意味も見つからず、死ぬことばかりを考えていたある日、即死していると思われるほどの事故に遭いましたが、奇跡的に大腿骨骨折だけですみました。けれども私は、先の見えない虚無感に襲われながら、何かに向かって祈り続けていました。そんな私の所へ、叔母の計らいで牧師夫人が来てくれました。

 

私が今まで神様から離れ、的外れに生きてきたことにすべての原因があると分かり、すぐに神様を信じ、イエス様を救い主と信じ、心に受け入れました。それから、むさぼるように聖書を読み、聖書の言葉だけを信じて踏み出すと、全ての道が開かれていきました。まもなく私は洗礼を受けました。二十七歳の時です。

 

神様は、私自身の心の中にある深い傷と歪んだ秤をいやす為に、様々なことを通し、時間をかけて、私を訓練し、測り知れない哀れみによって、日毎に神様の愛の深みへと私を抱いて導いて下さいます。

 

私に対する神様の愛を語るならば、幾晩あっても足りません。私は実に多くの罪を犯し、多く赦された者です。このような私を絶えず真実な愛で包み込んで下さる神様を、もっと愛するようになりたいと願っています。今日も神様と共に歩むことができ、安らぎと喜びの中に生かされていることを心から感謝しています。

 

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