12月11日 ルカ1章5節―25節

こちらから説教を音声でお聞きになれます。

 

「黙って待つ」

  アドヴェントクランツに3本目の火が灯りました。毎年のことだとなんの感慨も抱けないこともあるでしょうか。いつものことを当たり前に粛々とこなす。しかし人生のほとんどはそういうものです。ザカリヤもそうです。主の戒めと定めを落ち度なく正しく守る宗教家。特に秀でたところがあるわけでもなく、目覚ましい活躍をしたわけでもない。当たり前の歩みの中に子がいない深い悲しみをたたえている。欠けと言ってもいいかもしれません。

 

  これは私たちの姿です。特に劇的で波乱万丈な人生を生きてきたわけではない。優れた才能を有しているわけでもなく一生を終える市井の人。平凡な歩みだからと言ってすべて満たされているわけでもない。信仰があるのに、なぜこんな悩みをかかえるのだろう。なぜこんな恥ずかしい目に。祈っても答えが出ないままに何かの欠けを抱えている。しかしクリスマスの物語は欠けから始まります。神にとって欠けそのものは致命的な問題ではないのです。

 

 ある日、ザカリヤに大切な奉仕が回ってきます。聖所で香をたくつとめ。これは宗教家としての奉仕でしたが当番制で一生に一度回ってくるかどうかの確率でした。平凡な人物の生涯一度の晴れの舞台と言ってもいい。彼にすればただ無事に奉仕が終わることだけを願う思いだったはずです。しかしその奉仕が突然中断させられてしまうのです。他ならない天使ガブリエルの出現で。しかも高齢な自分たちに子が与えられるというお告げによって。

 

 私たちの人生にも予期せぬことが起きます。思いもよらない出来事により計画が中断してしまう。他ならない神様によって生活がいきなり塗り替えられてしまう。戸惑って当然です。胸騒ぎがして当たり前です。神様は今も平凡に生きる者の日常の裂け目に訪れられるのです。手帳に書かれた予定調和に生きることが信仰生活なのではないと飛躍を促す場合があるのです。しかし実はそれこそ神があなたを覚えて下さっている証しとも言えるのです。

 

 この出来事を通して、ザカリヤは口がきけなくなります。物が言えなくなるのです。今までの人生にも黙るしかない場面はあったことでしょう。なぜあなたがたには子がいないのか。宗教家なのに。口さがない無遠慮な人の問いに悲しみつつ口をつぐむしかなかった恥。しかし今回の沈黙は質が違います。ただ神がなさろうとする圧倒的な恵みをあなたはただ黙ってみていなさい。そういう前むきな沈黙の期間を彼は5か月の間過ごすことになります。

 

 主は私たちにも語りかけられます。わたしがあなたにしようとしていることを黙ってみていなさい。今まで聞かれない祈りが確かにあった。解決のつかない問題もある。しかしそれは空しく地に落ちたわけではない。しっかりと神に届いている。驚くような思わぬ形で、人の力の及ばない形で、主は救いを成し遂げられます。ならば多弁はいらない。言い訳も理屈も一切必要ない。私たちはただ黙ってこの方のなさろうとされることを見届ければいい。

 

 考えてみればアドヴェントとは待つ期間です。恵み深い主の訪れを黙って待ち望むだけでいい。そして次に口が開かれるときには、嘆きではない、愚痴ではない、ただ主への賛美がほとばしり出ますように。すばらしいみわざをなされる主を誰かに証しする言葉が心からあふれ出ますように。確かに主はわたしをあわれんで下さいましたとあなたも必ず言えるではありませんか。アドヴェントクランツ、三本目の火の意味は喜びです。