1月15日 エステル記2章1節ー23節

こちらから説教を音声でお聞きになれます。

 

「望まない道にも」

 誰しも何らかの喪失感を抱えて生きているのかもしれません。アハシュエロス王もそうでしょうか。その後とあります。宿敵ギリシャにまさかの敗戦を帰した後のことなのです。落ち込みもしようというものですが、冷静になるとかたわらで慰める妻がもういないことに気づく。しかし自分で法律を変えてまで王妃を放逐した手前、復縁などもう望めない。部下は王の思いを察し再婚を勧め、国をあげての世紀の再婚相手探しがここに始まるのです。

 

 今でもありそうな話です。仕事にのめりこみ家庭を顧みないうちに、大切な家族に愛想をつかされる。そのうちに仕事で大きな失敗をして落ち込んだ時には、隣で慰める存在は家からすでに消えていてどこにもいない。なんという寂寥感でしょうか。人生にはかたわらで支えて下さる相手が与えられているのは神の配慮です。ひとりで生きていけるはずはないのです。失ってから相手の存在の尊さに気づく愚かさを避けるわけにはいかないでしょうか。

 

 国家の思惑に、翻弄されたのがハダッサでした。異国ペルシャのユダヤ人共同体で育った孤児。いとこのモルデカイが親代わりになって育ててきた娘です。両親を知らず親の愛を受けられずに生きてきた境遇と、親代わりのいとこの深い愛情と、悲しみと慰めの双方が彼女の人生を形成してきたとは言えるでしょう。その彼女がその美しさから王の妃候補のひとりとして選出されて、オーディションに向かうところからストーリーは展開していきます。

 

 シンデレラ物語として読んではいけません。嬉しくもなんともないのです。慣れ親しんだ信仰共同体から突然引き離され、わけのわからない世界に移される喪失感。人生は思い描いた通りには必ずしも進まない。ペルシャ名をエステルと名乗る彼女は、過酷な決定にどこまでも受け身です。無理もない。王の命令を市井の者が断るすべがあったでしょうか。あるいは人生は思い通りにはいかないのだと小さい頃から悟りきった者の覚悟だったでしょうか。

 

 私たちもそうでしょう。いきなりわけのわからない理由で思い描いた人生ではない望まない方向へと翻弄される。なぜこんな人生なのかと問わざるを得ない。そういう時こそ悟るべきです。自分がこういう状況に置かれているからには神から与えられた何らかの使命があるのかもしれないと。仕方がないとあきらめの境地で受け入れるよりももっと前向きに。使命がわたしを探しているのだと気づく時、人生には違ったありようが生まれてきます。

 

 エステルはユダヤ人共同体との接点を保ちたいと、出自を隠しながら、外のモルデカイと連絡を取り合います。幸い、モルデカイは王宮の門に座っています。今ならさしずめ守衛と言えばいいでしょうか。その仕事の席で、たまたま王の暗殺計画を聞いてしまうのです。ギリシャとの敗戦で王の立場が危うくなっていたためとも思えます。モルデカイからエステルへの忠言で、幸いクーデターは未遂に終わりますが、彼の功績は忘れられてしまいます。

 

 思い当たりませんか。一生懸命したことが誰にも評価されないやるせなさを。よかれと思ってやって力を注いだことが、誰の目にも止まらずに忘れ去られてしまう悲しみを。この割り切れなさも一種の喪失感と言ってもいいでしょうか。しかしこの件はやがてストーリーの大きな伏線になっていることは覚えておきましょう。とりもなおさず、それは誰があなたを忘れようと、神だけはあなたを必ず覚えているという力強い慰めになるのですから。