1月29日 エステル4章1節―17節

こちらから説教を音声でお聞きになれます。

 

「この時のため」

 ユダヤ民族殲滅の恐ろしい法律がモルデカイの耳にも届きました。彼はこのことを聞くやいなや衣を裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声をあげ、激しく叫びます。神への嘆きの祈りの姿です。彼はどういう思いだったのでしょうか。元はと言えば、彼がハマンに敬礼しなかったことが原因で、その火の粉がペルシャ内のユダヤ人全員に降りかかってしまったのですから。しかし、彼は悲しみも怒りも苦しみもすべてを神の前に持っていくのです。

 

 私たちもどんなうろたえるようなことに遭遇したとしても、感じている思いのすべてを神の前に注ぎだすことができるのです。問題にぶつかったとたん、黙っておれず、あの人この人と相談しがちです。それも決して悪くはありませんが、根本的解決にはならないかもしれない。しかし信仰者には祈りがあります。泣くのなら神の前で泣きませんか。嘆くのなら神に嘆きませんか。それこそ何よりの解決の道であることを私たちは知っているのですから。

 

 しかし、外の混乱ぶりに対して王宮の中だけは別世界だったようです。王妃のエステルにまでは情報は伝わっていません。モルデカイが荒布を身にまとい門の入り口にいると異変を聞いても、何が起きたかも知る由もありませんでした。彼女なりに気を遣い彼に新しい着物を用意するのですが、当然それでモルデカイの気が晴れるわけでもないのです。モルデカイは使いを通してハマンの策略による、ことの次第の一切をエステルに伝えたのでした。

 

 一刻を争う緊急事態にあなただけが無事であるという甘い考えは捨てたほうがいい。なぜなら王妃の立場にいるとはいえ、あなたもユダヤ人である事実は変わらないのだから。このままではユダヤ人殲滅計画の火の粉はあなたの身にも及ぶことになる。あなたに無関係な話ではないのだ。あなたも問題の当事者なのだ。モルデカイはエステルを説得します。まるでエステルの浮世離れした暢気さや鈍い反応を強く戒めているかのようにも聞こえます。

 

 私たちの姿ではないでしょうか。何も事情を知らないうちはある程度冷静でもいられる。まるで他人事であるかのようにもふるまえる。悪気はなかったにしても問題に対してどこか反応が鈍いのです。自分には関係のない話だと。しかし、情報が集まり、ことの深刻さがようやく理解されるに至って、初めて苦悩の色が濃くなっていく。いや、これは自分にも関係のある話なのだと気づかされることから信仰は真剣身を帯びていくものなのでしょう。

 

 モルデカイはたたみかけます。この法律を覆せるのはあなたしかいないのだと。王妃であるあなた以外に王に直訴できる立場の者はいるだろうかと。あなたはこの時のために王宮に置かれているのではないか。危険なことではありました。当時、王妃の側から王に呼ばれもしないで近づくのはご法度。ことと次第によると死刑もあり得ました。エステルは覚悟を決めて、わたしのために3日間断食して祈って欲しいと同胞にとりなしの祈りを願うのです。

 

 わたしたちにも巡ってきます。もしかしたら自分はこの時のためにここに置かれているのかもしれないと使命に気づくことが。今まで受け身で流されるまま生きてきた者でも、神に賭けるような主体的決断をせざるを得ない時が。大抵の場合、好ましいこととは思えない。むしろ自分にとってやりたくないこと、気が進まないこと、危険を伴うことであったりさえする。しかし、踏み出せとの声を聞いたなら。その状況で決してためらってはいけません。