7月9日 エズラ4章1節―24節

こちらから説教を音声でお聞きになれます。

 

「揺るがないで」

 何かを成し遂げることは大事です。しかし、それ以上に大切なのは純粋さではないでしょうか。ここでは神殿再建に協力したいと申し出る人々が出てきます。嬉しい話ではありませんか。しかし、ここでは彼らは敵だとあるのです。協力者がなぜ敵なのだろうか。彼らは実は信仰的に不純だったのです。神を信じながら別の宗教も捨てない異端的な宗教混合に陥っていたためです。ですからゼルバベルらリーダーは彼らの申し出を毅然と断るのです。

 

 私たちも識別が求められています。神の目的を成し遂げるためなら、今まで信じてきたことでも曲げてもいいのだろうか。異なる見解の者との間に波風が立たないようにするためには、なんでもありにしてもいいのだろうか。その方が楽だから。その方が早く実現しそうだから。果たしてそうなのでしょうか。信仰のない方の協力は拒めということではありません。信仰の核心がなにかの揺るがないものを持っているかどうか問われているのは私たちです。

 

 案の定、敵は正体をあらわします。突然牙をむいてきました。神殿再建工事を妨害し、役人を買収し、なんと16年もの間、工事は中断してしまうのです。神の計画はいつも順調に進むのだとは限りません。宣教がなんの問題もなく進んだことなど今までいつの時代にあったでしょうか。紆余曲折も、中断も、停滞もある。私たちを弱らせようとして働く力は人であれ、霊的なものであれ、いつの時代もリアルにあるのだと腹をくくったほうがいいのです。

 

 私たちの信仰を弱らせるものは何も大掛かりな実力行使とは限りません。むしろ、悪意のあるデマ、中傷、嫌がらせと言った日常的な小さなものかもしれません。今ならネットの炎上もネガティブキャンペーンも。もしかしたら、私たち自身も間違った言葉に振り回され、信じ込まされ、遮られていることもないわけではない。神は真実な御言葉の約束だけに立つようにと促しておられるのです。

 

 7節以降は実はかなり時代が下った後のエピソードです。神殿再建が完成した時代です。神殿が建ち、城壁を造ろうとしたタイミングでまた妨害が入るのです。城壁が完成するとユダヤ人はペルシャに税を払わなくなる。さらにペルシャに反逆して独立運動を起こそうとする。事実ではないことをただ憶測だけで解釈して、事実であるかのように巧妙にペルシャの王に手紙を送るのです。王はこれを真に受けて城壁工事中止を命令してしまいます。

 

 なぜ、だいぶあとの時代のことをここに挿入したのでしょう。それは過去の苦労と現在の問題を重ね合わせているためでしょう。過去にもいろいろ妨害はあったが、結局神殿は再建できたではないか。ならば、今回の城壁工事の妨害も、主が必ず乗り越えさせて下さるはずだという信仰に結びついてのことではなかったでしょうか。過去の困難を主がどうやって乗り越えさせて下さったかを思い起こすことは今の信仰も強めていくことにつながります。

 

 今でも事実は様々に解釈されていきます。悪意をもって語られる場合もありますし、憶測によって曲げられてしまうこともある。だからと言って簡単に落胆してはいけません。王は絶対中止と言ったのではありません。わたしが良いと言うまでとあります。まだ可能性があるのです。悪意に取り囲まれているからと言って、神の善意や配慮までも見落としてしまう必要はない。どんな困難においても、神の善意はあなたに向けられていることは確かなのです。