8月20日 エズラ10章1-44節

こちらから説教を音声でお聞きになれます。

 

「再出発」

 祈りがあるところには希望があります。民の腐敗ぶりを目の前で見たエズラ。当惑し涙ながらにひとり祈ります。しかし、彼の祈りに呼応するようにして多くの群衆が、男も女も子どもも彼のもとに集まり、泣き悲しんだというのです。エズラの祈りの姿に、麻痺していたかのような民の良心が呼び覚まされていきます。そこから神への真実の悔い改めが起きるのです。祈りは祈りを生んでいくのです。人から人へ飛び火していくのです。

 

 昔も今もリバイバルと呼ばれる現象の起きたところには祈りがありました。悔い改めを祈る少数者から、教会に変化が起き、社会が変わっていきました。現実を見れば、確かにどうしていいかわからないような罪に圧倒されそうになります。どこから手をつけていいかわからないほど頭を抱えます。だからこそ、主のあわれみを求めて祈り続ける。たとえ少ない人数であろうと。たとえ少数者であろうと。主は必ず答えて下さいます。

 

 集まったひとりシカ二ヤの言葉にエズラは励まされたに違いありません。イスラエルにはまだ望みがあると言うのです。だから、立ち上がって、心を強くして、あなたの仕事をして下さいと迫るのです。むろん、あなたがしようとすることを私たちも協力しますと訴えます。確かに今からやろうとすることは、難航を極めます。短期間で簡単にできることとは思えません。しかし、気づいた者から誰かが始めないといけないことはあるものです。

 

 信仰生活の中では誰もが同じことに気づくとは限りません。これは深刻な問題だと気づく者は共同体の中では実際に僅かです。多くの人は重荷も使命感もなく無関心と言うことはあり得ます。しかし、はっきりしていることがある。教会ではいつか誰かが何とかするでしょうは通用しません。気づいた者から、何か行動を起こさないと問題はいつまでたっても持ち越されたままです。あなたが気づいたなら、取り組むのは間違いなくあなたなのです。

 

 エズラの呼びかけにこたえて、大雨の季節、民は寒さに震えながら、集まってきます。そして何か月もの調査の結果、律法にかなわない結婚をした者たち、特に祭司たちは、妻子と別れるつらい決心をするのです。彼らのリストが名前入りで抜粋されていますが、これは彼らを記録して責め続けてやろうと言う意図ではないでしょう。事態は逆です。どんな罪を犯した者であれ、真実に悔い改める者は人生を再出発できる恵みがここにあります。

 

 私たちもまた罪深い者です。何度主を裏切ったかわかりません。しかし、それで自分は一貫の終わりだと決めつけるのは早計すぎます。主は真実に悔い改め心を主に向ける者を受け入れて下さいます。それどころか、どんな散らかった人生を送ってきた者をも主は再出発させて下さる恵み深いお方です。罪びとを温かく顧みられる主がおられるからこそ、どんな罪の過去があろうと人生はどこからでもやり直すことができる。これこそ福音です。