10月15日 詩編100

こちらから説教を音声でお聞きになれます。

 

「叫べ全地よ」

喜びの叫びがこの賛美には響いています。喜ばずにはおれないのです。なぜでしょう。心が主に向かうからです。人は主に思いを向けるときに喜びが湧き上がるようにできている。理由なんてあってないようなものです。世界に満ちているのは悩みかもしれない。苦しみかもしれない。悲しみかもしれない。しかし、どんな闇にいる者であれ、この方に心を向けるなら、そこには喜びが生まれます。全地が対象ですから、世界の、どんな環境にいようと。

 

喜びの中にいる私たちは、その喜びを隠してはおれません。むしろ、この喜びを誰かと分かち合いたくなるものです。だから全地に、世界中に発信するのです。呼びかけるのです。ここに喜びがありますと。これは単にプライベートな密かな喜びではない。誰もがいただくことのできる喜びです。叫ばずにはおれないほどの歓喜です。しかも、喜びは分けても半減しない。シェアすればするほどかえって倍増し、拡大していくことでしょう。

 

喜びに理由などないに等しいのですが、一方ではっきりしていることはあります。主に心を向ければ、自分が何者なのかがわかる点です。われらは主のもの。その民。牧の羊。主がわたしを造って下さった。ならば、わたしの生きる理由も目的もこの方抜きにつかめるはずもない。羊飼いが羊を守り、養うように、主に養われることなしに、人生を正しく歩めるはずがない。しかし、主の手に導かれる人生を自覚する者には、自分探しは卒業です。

 

自分で自分を規定することなどできないのです。誰も自分をわかってくれないと心で叫ぶのもいいです。しかしなんのことはない、自分でも自分がわからないのが実際ではないですか。自分の内面を見つめ、悩み、苦しみを考え抜こうが、答えはそんなところにはない。わたしたちの思いを主に向けるなら、だんだんとわかってきます。自分が何者なのかも、どうやって生きるのかも。わたしは神の愛の対象。それだけでも十分ではないですか。

 

ひとりひとりの人生は固有で、かけがえはない。もっとも人である以上、共通点もある。なぜ自分は造られたのか。主に感謝をささげるためです。ほめたたえるためです。賛美を響かせるためです。この目的からそれた人生はありえない。無理に鼓舞せずとも、主の恵みといつくしみとまことを思えば、たたえずにはおられない。人は主を礼拝するために造られました。今、ここで私たちは人として最も根源的な行為をしています。主をほめたたえよ。