11月12日 詩編104

こちらから説教を音声でお聞きになれます。

 

「あなたが御霊を送られると」

自然体験が各地で人気を集めます。自然の中で、人間性を取り戻す欲求があるのでしょう。自然散策のBGMにはこの詩編が似合います。実際、音楽家ラフマニノフはこの詩から晩祷を作曲しました。息をのむ自然の素晴らしさは、自然を創られた方の意志をそこに見出すからです。だから、詩人は自然を創られた創造の神をほめたたえるのです。芸術作品でも、美しければ美しいほどその背後におられる作者に思いを向けるものではありませんか。

 

人間が自然の一部である以上、私たち、ひともまた神の創造の産物であることを決して忘れるわけにはいきません。神に創られた存在として生きている。この事実こそあらゆる虚無や絶望を乗り越える鍵です。生きよという神の意志を受け取っていいのです。そして人と人の間に生きる私たちは、神の作品である自然と出会い、相手と出会うごとに、実は神の恵みに出会っているのだと知れば、神の作品を堪能したくなるはずです。孤独ではもったいない。

 

しかも、神は天地を創造されただけで、あとは関りを断ったとはどこにも歌われていません。創られた世界を今なお保っておられる。あたかも工事が終わった建物がずっとメンテナンスされ続けるように。水が世界を巡るのも、いのちを生かし続けようとする神の意志があればこそです。ミクロな世界ではこの大地から、果てしない海原まで、マクロな世界では宇宙の天体まで、すべては神の定めた美しい秩序の下に保たれているではありませんか。

 

私たちはこの神に素直に信頼すればいいのです。今日は特に変わったことがなかったと思う平凡な一日の夕暮れであれ、振り返ればそこにも神の恵みは満ちていました。いつものように太陽は東から西に沈み、いつものように水道をひねると水は流れ。平凡な日々の営みを支えているのは、実は偉大な神の恵みなのだと気づかされれば、すべての点に神を認め、生かされているいのちを思い、深い感謝が生まれてくることでしょう。

 

しかし、ここにあるのは単なる自然賛歌でも、楽観的な人生論でもありません。むしろ詩人は知っています。人間には死があることを。この世界には確かに苦しみも、差別も、貧困も、不和もある。人はその中で呻いている。神がそれらを創ったとでも言うのでしょうか。いいえ。決して。それらは人間の罪がつくり出したものなのです。神の作品を、私たちが勝手に傷つけ、搾取し、本来の在り方とは違う方向に捻じ曲げてしまっているのが現実です。

 

そういう抜き差しならない状況を味わいつくしているからこそ、わかることはある。神を求めるのだと。そこにしか活路はないと。神は今もいのちの息を送って下さる。すべてのいのちを新たにし、つくりかえる神の霊を。あらゆる閉塞感を打ち破り、あらゆる停滞感を一掃するのは、この神の霊です。主よ、あなたが霊を送られると、私たちは新しく創られます。ヴェニ・クレアトール・スピリトゥス。来たれ、創造主なる聖霊よ。