1月7日 マルコ1章1節

こちらから説教を音声でお聞きになれます。

 

「福音始めました」

今年は教会30周年。この教会がどうやって始まったかを知りたい方もいるでしょう。マルコの福音書もはじまりという言葉から幕を開けます。この福音書にふさわしい書き出しです。なにしろ四つある福音書のうち最初に書かれた最古のものがこの書なのですから。福音書というそれまで誰も書かなかったジャンルを確立したのはこの著者なのですから。誰もしたことのないことをせざるを得ないほど決定的に新しいことが起こっているのです。

 

2018年が始まりました。しかし年が明けたくらいでは全てが新しくなるわけではないことは経験上わかります。決定的な何かが始まるわけでもありません。人が何かを始めたくらいではどうにもならないくらい社会は閉塞感が漂っています。しかし、神が始めて下さったことがあるなら、それこそ人生にとって決定的な契機になるはずです。神はすでに始めて下さっているのです。あなたの人生もすでにその新しさに巻き込まれているのです。

 

神は何を始めて下さったのでしょう。福音をです。さしずめ店頭に「福音始めました」と張り紙をしているようなものです。ただし、気を付けて下さい。この言葉は必ずしも教会の専売特許ではなかった。当時は軍事用語でした。ローマ帝国の皇帝のお告げが福音と呼ばれ、戦勝報告が福音と呼ばれ、世継ぎの誕生が福音と呼ばれていました。そういう文化背景の中で、それに対抗するかのように、あえて福音という言葉がここに刻まれているのです。

 

今も私たちは良いニュースにうえかわいています。悪い情報ばかり流れるからでしょう。しかし少し立ち止まって考えたほうがいい。一見よさげに見える良い情報が、果たして本当の意味で自分をしあわせにしてくれるものなのかどうかを。耳障りのいい話が実はただの一時しのぎの気休めだったり、幻想だったりする場合があるのです。よかれと思って飛びついたものに騙されてかえって人生が絡めとられてしまう事態だってありうるからです。

 

マルコははっきりと告げるのです。あれは福音ではない。これも福音でもない。イエスキリストこそが福音なのだと。ローマ皇帝こそ神の子と信じられた時代に、そんな繁栄の中に神の子はいないと宣言します。イエス様こそあなたの人生を新しくし、生き方を変え、喜びをもたらす方なのだと誰にもはばかることなく証しするのです。この宣言はこの福音書すべてを貫く主旋律のようなものです。どこを読んでもこのメロディーが響いてきます。

 

福音を神・罪・救い・天国とコンパクトに四つにまとめる向きもあるでしょう。もちろんそれも福音の一部です。しかしマルコならこう言うでしょう。この福音書に書いてある全部が福音ですよと。イエスのなさったこと。語ったこと。彼がどう生きたか。どう死んだか。その全てが福音です。ここから何かを割引く必要も、水増しする理由もない。フルゴスペルという英語の通りです。福音を信じますと言うならば一部ではなく全部乗せしていいのです。

 

しかもそれは始まりに過ぎない。当時としてはそれが福音だったのですねとただの外国の歴史の話で片づけなくてもいいのです。福音は前進しているのですから。ここを原点として広がった福音は今もまぎれもなく人を変え続けていることは、私たちだってはっきり証しできるではありませんか。教会はこの福音を証しするために立てられているのです。イエスキリスト。この方はあなたを絶対にがっかりさせませんと自信をもってお勧めするのです。