毒草師 白蛇の洗礼

 

高田崇史 

歴史好きの僕のこと。歴史ミステリが嫌いなわけがないですね。著者の得意分野は歴史ミステリ。講談社が新人エンタメ系作家発掘のために作ったメフィスト賞を受賞してデビュー。(この賞の名はもちろんファウストのメフィストフェレスから来ていて、書きたいことは山ほどありますが自粛)

  

著者がデビュー以来書き続けてきた「QEDシリーズ」が最近完結。歴史の謎と聞くと邪馬台国や写楽の正体が鉄板ですかね。しかし著者の興味はもっと深くて、私たちがなんの疑問にも思っていないことの中にも実は謎がありますよと教えてくれるのでかなり上級。それは出雲大社だったり、熊野神宮だったり、日光東照宮だったり、諏訪大社だったり伊勢神宮だったり。これに現代の殺人が絡みますが、現代部分はどちらかというと付け足しにも読める。

  

さて、この作品はQEDシリーズの脇役が主役を張るスピンオフ作品と言えばいいのでしょうかね。この探偵役が、毒草師と言って、毒草の専門家なんですね。そんな仕事本当にあるのかと突っ込みましょう。歴史の謎としては千利休クリスチャン説。僕はたまたま千利休クリスチャン説は聞いたことがあったのですが、どの程度有名なのでしょうね。この説。

  

現代の殺人事件の部分では、前例のないような毒殺トリックが使われていてこちらも興味深い。ミステリは過去の名作のトリックを踏まえた上でその上を行く新しいトリックを捻出しないといけないしばりがありますね。学問の研究史みたいなものか。(どこがw)

  

著者の歴史観はポストモダン的と言ってもいいでしょうね。歴史書に記述された歴史は本当に事実かという根本的疑義があるのですよ。それは支配者に都合のいい作られた歴史ではないのかと。むしろ負けた者や、声なき者、民衆。こういった存在の声は意図的に握りつぶされてきたのではないか。じゃあ歴史資料を鵜呑みしないで自分で考えろと著者は言っているようです。だから歴史資料を裏読みして真実の姿をあぶり出せはしないか。一理あるのでしょうかね。いや、知的には面白いのですよ。どこまで学術的かは保証できませんが。

  

キリシタンの歴史に関しては確かに意図的に隠されてしまったのか、今となっては分からなくなっていることも数多い。キリシタンはこの国では声なき声のひとつなのですね。それをどこまで掘り下げて肉薄することが出来るのか。それは歴史の見直しにまでつながるのか。僕には分かりません。

 

 

 

しかし、これを階級闘争史にまで進めてしまうとそれはそれでひとつのイデオロギーになってしまうし、ましてや聖書記述にまで当てはめ出すと収拾のつかない大変なことになってしまう。いや、実際あるんですよ。そういう聖書理解の立場も。だいたい勝ち組、負け組などという嫌な言葉だけで歴史に白黒つけようとするのはあまりにも不遜で硬直的かと。すみません。何か今夜はミステリ談義よりも歴史談義になってしまいました。いや、歴史の謎だって広い意味ではミステリでしょうし。