9月2日 マルコ4章30節―34節

こちらから説教を音声でお聞きになれます。

 

「からし種のように」

現代社会は、どうしても大きいもの、強いもの、豊かなものに惹かれていくところがあります。しかしイエス様はあえて小さいものに注目させるのです。からし種。これは当時としては最も小さいとされていた植物の種として知られていました。ゴマ粒よりも小さい。実は福音のわざは小さいところから始まります。小さいもの、弱いもの、貧しいところ。主は決して切り捨てようとはなさらない。むしろその価値を知り抜かれる主がここにおられます。

 

実際、主の身元に集まる人たちは、小さい人々でした。社会からは見向きもされません。冷遇され、差別され、踏みつけられ。しかし、もっと言うなら、主ご自身が小さく身をかがめられ、ガリラヤの辺境に生きられます。ならば、私たちも自分の小ささを必要以上に気にする必要がどこにあるでしょうか。小さいままで、弱いままで、社会からは無価値と呼ばれるままで、わたしのもとにいらっしゃいと招かれる主がおられる。これこそ福音です。

 

ここで大切なのは、小さいからし種が何メートルもの木にもなる現実です。明らかに始まりの小ささと、その後の大きさが比べられているのです。神の国とはそういうものなのです。小さいところから始まったような働きが、時とともにやがて信じられないくらいに大きく育っていきます。枝を張り広げていきます。そして多くの人がそこに身を寄せるようになる。このような驚異的な成長率が福音にはあるのだと教えられているのです。

 

何も主は成長しろと、成長を強要し叱咤激励しているわけではありません。小さいままで構わないのです。そんな強制などせずとも大きくしてくださるのはどこまでも主であって、決して人の力によるものではない。育てるのは神です。いのちのある植物は自動的にオートマチックに育っていくものではありませんか。ならば、自分はダメだと卑下しなくてもいい。ただこの方に期待し、信頼を寄せればいい。主の邪魔をしないだけでいい。

 

ここで主はすべてをたとえで語られたとあるのに心が残ります。つまり聞く人のそれぞれの状況に応じて、わかるように話された配慮があるわけです。主は個々人の霊的状態をご存じで、ひとりひとりにふさわしい在り方で対応して下さる方だと言うのです。もちろん、福音を語りはするわけですが、ひとりひとりに合う形で提示なさろうとする工夫がここには見られるわけです。目の前にいる人への愛が語りになってあらわれるわけです。

 

一言で言うと聞く力に応じてということになりましょう。聞く力とは決して理解力ではありません。ここでいう聞くとは従うという意味です。主に従う力なのです。ということは誰にだって主に従っていこうとする力は本来的に備えられている。たとえ小さいものであれ、ゼロということはありえない。主はその従おうとする力に働きかけます。み言葉が語られるなら。福音への応答が起こるような促しが私たちの中からも必ず起こるのです。今日も。