7月9日 エステル記4:13~17

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エステルの断食

 

エルサレム神殿の再建の時代、ペルシャの国の王アハシュエロスには、美しい妻、ワシュティ王妃がいました。ある日ペルシャ王は国々の王を集めて宴会をした時、この王妃は宴会には参加しなかった事から、彼女は王妃の座から下ろされる事とになります。そして王は、新しい王妃を探した時、エステルが選ばれたのでありました。「エステル」は小さい頃に両親を失い(バビロン捕囚の時かもしれません)、いとこの「モルデカイ」に育てられていましたが、モルデカイはユダヤ人である事を隠す様エステルに告げていました。当時のペルシャは、多国籍国家で、国内部で民族や宗教的な争いがあったからなのでありましょう。モルデカイは、城に召し出されたエステルを心配して、城の近くの門の前で長い事座っていたそうです。その後、アガク人ハマンという男が出世し、ハマンは総督の立場となります。「アガク」というのはヘブル語で「凶暴」という意味であり、彼は民族的にもユダヤ人の敵であったと考えられます。モルデカイはユダヤ人として、主(神)ただ一人以外には平伏さない、この態度にハマンは激怒して王に掛け合い、モルデカイだけではなく、国中のユダヤ人を根絶やし、殲滅命令は出されます。その年の12月の13日にユダヤ人大虐殺が決められ、王は指輪をハマンに渡し完全に決定された時に交わされた手紙の内容が、今日の御言葉であり、とても緊迫している事がわかります。エステル記には、「神、礼拝、祈り」という言葉はありませんが、主の時を見て、全てのユダヤ民族が三日三晩の断食と、死を覚悟し、王の前に出ていくエステルの信仰、そして全ての裏側で働く神の御業などを、告げ知らせています。その祈りと悔い改めの後、強くされたエステルは、王の前に立ち、そしてユダヤ人の敵ハマンの悪意は暴かれ、最後に彼自身が作ったモルデカイ処刑様にの木に貼り付けられ、処刑される事となります。そしてモルデカイは、ハマンの変わりにペルシャ帝国の王の総督となり、全ての敵は滅ぼされる事となり、現在でも、この日はプリムと呼ばれ祝われています。

 

ポイント1「祈り」

ハマンが計画したユダヤ人殲滅計画に、王はすでに賛成し、全てのユダヤ人の死刑は確定していました。そして王に直訴できるモノはエステル以外、他にはいなかった事は事実です。それは、まさに神が定めた「エステルの時」と言うより他なく、この時の為に彼女が生まれてきたのではないか、こうモルデカイも確信しています。その様な近況自体にエステルは、全てのユダヤ人に「祈り」3日の断食する事、それは集中して祈る事を求めたのです。祈りとは「神と人との交わりであり、私たちが神に帰す感謝の表現」であります。

私たちは、なによりも先に、まず神と交わりの祈り、自分の全てを神の中に置き、そして全ての恵に感謝を捧げる、その様な神への祈りを中心としたモノでありましょう。

 

2ポイント「悔い改め」

悔い改めは「立ち返る」といった言葉であり、罪の状態や、神への不服従の状態から立ち返る事であり、それは「心の転換」であります。この「悔い改め」によって罪は赦されるのであります。この「悔い改め」によ私たちは、主に今日立ち返る悔い改めと、神の交わりである「祈り」により、主イエス・キリストと一つとなり、神を中心とした祈りの信仰によって全員で一丸となり困難な時代を共に祈り、乗り越えて行こうではありませんか。