7月23日 ルカ10:38~42

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「マルタとマリア」

マルタとマリアの箇所は、様々な言われる所です。マルタの様に信仰に行いを求める人もあり、マリアの様にイエスの御声に静かに聞き従う方が優先すると考える人もいます。

この時のマルタはキッチンでとても忙しくしており、その時に手伝わない妹に対して小言を言う彼女の気持ちは誰しも分かる所だとは思います。ただ、我々が常識だと思う事が、どこででも常識である事はない事も確かでしょう。ましてや、我々の常識が神の目に正しいという事も違うのかもしれません。そして、イエス様はマリアのことで小言を言うマルタに対して、マリアは良い方を選んだ、それを取り去ってはいけない」と語りました。では、マルタは悪い方を選んだということでしょうか?奉仕をする方が悪い方という事をイエス様は言っているのでしょうか?しかし、イエス様はその様に語ってはいないと思います。ただ、マルタに攻める所もあり、それは手伝わない妹に対し、忙しさの故に憤ったという事です。ルカ10:27では、「主を自分の全てで愛し、自分を愛する様に隣人を愛しなさい」という言葉、それこそが神が喜ばれる事であり、これが一番大切な事と聖書は語ります。そうすると、マルタはイエスを愛していたが、マリアのことを愛してはいなかった事が理解でき、マルタのイエス様への「おもてなし」の奉仕がイエス様に喜ばれないものとなっていた事が理解できます。ではマリアは、真剣にイエスの事だけを愛していた所、それは攻める所もありますが、神の目に正しい行動であった事も確かでありましょう。イエス様に使える者は、神の目に喜ばれる奉仕者であるべきであり、その様な私たちは、神を自分の全てで愛する事、そして隣人を心から愛するというこの二つを何時もどんな時も、それが目が回る様な忙しさの中であっても、その様な神の愛を忘れず、愛を実行する事、それが重要なのであります。