8月20日 創世記1:6~8

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「創造の2日目」

創造の2日目には、「大空水と水の間に現れよ」と告げ、天と名付けられています。天が創造された日とも理解できます。天の上の水と下の水、その間の空間が天であり、空間の創造に見えます。また、創造の3日目に海と陸が名付けられる所もあるので、この下の水が海だとは言い難い所でありましょう。また、その天の上の水を支える柱がある事も他の聖書箇所は告げています。また、神学者バルトは、2日目の創造時で最も重要な事は、「神は我々被造物が安全に暮らす為の『境界』を創造された」と告げており、我々が安全に生きる事のできる空間の「境界線」が創造されたと語っています。また、他にのユダヤ教的な解釈を紹介しますが、水の地とは死の地を現していると言います。この日の境界線の創造により、その内側には安全な場所、外には死の場所が広がっている。と考える事ができます。また、この線により人の限界が設けられた事でもあるとも言われる所であります。また、雲の創造でもあったともいえます。また、ユダヤ教のタルムードで「天」は、7つに分かれているそうです。

 

ポイント1「旧約時代の水」

旧約聖書の水の災害と言えば、「ノアの箱舟」の事を、考えるものでありましょう。

 

創世記 7:11、12では、 「その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。」と告げています。

この災害は、人々の悪が増大し、何時も悪に心が傾き、地上に人を創造した事を神が悔やまれた」からでありました。しかし、それが今の時代の悪と比べれば、そんなにひどい悪ではないのかもしれません。

マタイ24章では、人の子が現れるのも、ちょうどノアの時の様であると告げて、何時も目を覚ましていなさい。と語る。

我々は今の時代、周りに流されるものではなく、何時もイエス・キリストの信仰を固く守りつつ、何時も信仰の目を覚まし続けるものでありましょう。

 

ポイント2「新約聖書時代の水」

新約聖書でも、「水」について語られる所が幾つかあり、その中でもイエス様が、水の上を歩くといった事が有名であります。水の上を歩く力は、ただ神の力でありますが、それを普通の人ペテロはマタイ14章で行った所を見る事ができます。それにより、我々弱い者でも、神の御言葉によれば、荒れ狂う水の上でさえ立ち、歩く事ができる事を聖書は教えています。ただ、ペテロはこの後、現実を見てしまい荒波に恐れ、沈んでしまいました。

 

私たちは、その御言葉によって、水と水を分けられた、その同じイエス・キリストの御言葉に立ち、この荒れ狂い、生きる事も難しく感じる様な今の時代の中、ただ、イエス様を一心に見つめ歩んでいこうではありませんか。