9月3日 創世記1:14~19

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「創造の4日目」

4日目になって、太陽、月、星という惑星の創造が語られています。

この聖書を読む時は、我々は科学的な考えを取り除いた上で、その世界観を捉える事の方が重要でありましょう。まず、聖書の世界観で重要な事、それは、この創造は人間を中心点にされているという事です。

ですから、太陽、月、星々の創造も、神が人の為に創造されているといった解釈で、良いのでありましょう。バルトは2日目の創造で人というか被造物の限界が創造されたと言い、4日目の創造では「認識」が創造されたと言っています。初日の光の創造では、昼と夜の間には目で見えるものはありませんでした。何故、昼が明るいのか、夜が暗いのか?被造物に認識させる必要性があったという事なのでありましょう。月の周期、または季節の周期、そして1年の周期が、この日に認識できる様にされました。それに伴い、年齢の周期が存在する事となり、何百年、何千年といった周期への認識ができる様になったのでありましょう。しかし、聖書の記事では、大きな丸いもの(太陽)は昼をつかさどるもの、小さな丸いもの(月)は夜をつかさどるものとされました。聖書は全ての惑星までも、我々の生活のために太陽は置かれ、月と星が創造されているという事であります。「つかさどらせる」といった言葉があります。それは、支配するといった言葉であります。神はこの時に昼の支配権を太陽に与え、夜の支配権を月、そして星々に与えられました。ただ、その支配権とは、管理者とされているという事であり、その本当の支配は主なる神がされている。それを聖書は我々に認識させているのでありましょう。

 

ポイント1「創造のしるし」

この創造は、「昼と夜を分ける為、季節、日、年のため」という所は、なんとなく理解できましょう。しかし、「しるし」とは一体なんの事でありましょう。この様に我々が毎日見ている太陽、月、星々の役目は、その星たちの存在の裏にある神を示す「しるし」となっているという事であります。私たち人間は多くの場合、この「しるし」に左右されるものかもしれません。やれ、何年に大地震があるだの、世界大戦、疫病、ききん、この様な事が終末の「しるし」ではないのか?しかし、そう言った事は、終末の前に必ず起こる事ではあるが、「終わりはすぐにはこない」とルカ書21章は告げます。ただ、エルサレムが敵に囲まれた時に終わりが近く、その時には神の御子が雲に乗って地上にくると告げます。私たちは天地が滅ぶ、その様な終末の「しるし」に動揺する者ではなく、天地が滅びても永遠に存在する御言葉を信じ、生きようではありませんか。

 

ポイント2「日、月、星の栄光」

新約聖書では、日、月、星の光を、栄光であると告げてもいます。地上の栄光もあれば、天の栄光もあり、それぞれに的している栄光が地にあると告げます。ただ、それら地に属する栄光は全て滅びる栄光であり、永遠に続く栄光は、イエス・キリストの救いの栄光であると告げているのです。この永遠に滅びる事のない、主イエス・キリストの栄光の中に生きましょう。