9月10日 創世記1:20~31

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「生きる物の創造」

神の創造は全てのものの上にありました。

それが、地の大いなる巨獣であっても、それが大空を飛ぶ全ての鳥、水の中に住む全ての魚たちであっても、それは聖書の中で、終末の時に滅びる事となるものたちでさえ、神が創造された時には、神の目には「良かった」と言われている様であります。

その上で最後の創造は人を「神の似姿」としての創造でありました。それにより、全ての創造が完成するのであります。創世記1章では、人は世界中、いや全宇宙の全てのものを治める為に創造され、地を、全ての生き物を治める事、それが私たちが神に委ねられている存在なのであります。

 

ポイント1「生き物の支配」

創造の頂点に人が創造されていると、神学者は語ります。しかし、全てのものを「支配する」為とありますが、人は自分勝手に自然や動物を滅びし尽くす様な事をして良いとは聖書が告げている所ではないと思います。何故なら主なる神が見て「よし」とされる全てのものを、神の似姿である人間が、破壊する事がよい事であるはずがありません。

ある神学者は、「人間は神の支配を証しし、成立させるために、他の生物の中におかれた」と告げています。他の被造物(動物たち)にとって我々人間は、神の様な存在とされ、この世界を実質的に支配している神を思いださせているのかもしれません。

しかし、人類が罪を犯してしまう事により、罪は死と呪いを招く事になり、現在もその支配の中に人が入れられているのであります。しかし、その死の支配を打ち砕いたのが、イエス・キリストの十字架の死と、3日後の復活の出来事であったと聖書は語ります。

私たちは、自分たちの罪を悔い改めてイエス・キリストを信じ、この創造の時にあった、神と、人、全ての被造物らとの正しい命に満ち溢れた関係に生きるものとして造り変えられ様ではありませんか。

 

ポイント2「神の似姿」

私たちの先祖、最初の人であるアダムとエバは、罪を犯してしまい、その子孫である人間は全て罪の中での生きる事となっていると聖書は告げます。人間は神の似姿として地上に生まれました。その罪のない人は、永遠に生きたのではないか?と考えられています。人は神の戒めを破った時から、人は死ぬ様になってしまい、現在に至るまでそれは続いているのであります。しかし、もし私たちが主イエス・キリストを信じ、神との愛の関係を取り戻し、その愛に生きるのであれば、私たちは、もう一度、この人としてのあるべき神の似姿を取り戻す事ができるという事を聖書は告げているのであります。

 

神を愛するみなさん、今日キリストの愛に立ち帰り、イエス・キリストの似姿に変えられ、最後の日、主の御姿をこの目で見ようではありませんか!