10月22日 創世記6:1~12

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「ノア」

ノアは「慰める」として、この世に生まれてきました。それは、アダムとエバが、罪を犯した時、神が地上を呪われた事から、人々の生活は苦難を強いられてきたので、彼の父レメクが、その神と人の真ん中に立って、慰める存在といった事が彼に願われたからです。ノアが生きた時代、地上の人の悪は増大し、心に計る事はいつも、悪い事に心を傾けていってしまい、神は地上に人を創造した事を後悔したと聖書は告げます。この時に神は、世界で一番正しく、全き者ノアに対して、箱舟の建造を告げます。方舟には、オールや帆などが付いていなく、自分の意志で動かせないといった事がその違いなのであります。

 

ポイント1「悔やみ、心を痛めた主なる神」

神はエレミヤ書で、「エレ31:20 わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。

神は聖なる方であり、罪を滅ぼし尽くす方、後悔も、心を痛める人ではない。それは

聖なる方は、罪を完全に滅ぼし尽くす方であり、そんな神が後悔したり、心を痛める様な方ではない、そう西洋の聖書学者は語ります。全治全能の方ではありますが、小さく罪に走った者に対して、心を痛めておられるのです。それも腸が捩れる程に人の事を思っておられるといいます。私たちは嫌な相手、苦手な人を愛するのは難しいものであります。しかし、主なる神は、人が罪に落ちていく事に対し、心を痛め、悔しくて腸が捩れるほど、それ程に、主は人を愛し、憐れんでおられるのであります。この時代の人々は、そんな憐れみを無視し、それこそ、自分達が神の様な力を求め、争い、神から離れ、自分達の思い思いの道へと歩んでいき、彼らは悔い改める事もなく、滅びへと向かっていったのであります。今現代社会を見ると、このノアの時代よりも人の心を悪に傾いている様に見えます。しかし、そんな罪に生まれ、滅びへと向かう我々を、主なる神は、その愛と憐れみの故に、救い主を今から2千年前に与えられたのであります。この御子イエスは、私たちをその罪から救う為、十字架の上で死なれ、そして復活されました。私たちは、滅びの罪を悔い改め、イエス・キリストの救いに立ち返り、ノアの様に、神の目に正しい者として生きようではありませんか!

 

ポイント2「神の心にかなったノア」

ノアという名前はナホームという言葉が言語で、「慰める,あわれむ」といった意味合いを持っています。

ノアが主の心に叶っていた、それは名前の様に、憐れみ深く、慰めに富む人であった。。

それと共にノアは、この憐れみ深い心と共に、神の御言葉に対して従順にしたがい、神と共に人生を歩んだ故に、彼は主の目に正しいと聖書は告げます。方舟は全長130mもあり、船を作った事のない私でも、これを8人で建造する事が、どれだけ困難かという事は理解できます。また世界各地に散らばる動物を一つの種類も欠ける事なく、この方舟に連れてくるのにも、様々な苦労があったに違いありません。しかし、ノアはそれら、全て神が命じられた通りに行い、彼は神の御言葉に忠実に生きた、それがノアという人物であります。私たちも、ヘブル11:7にある様にノアの様な信仰に生きよう。