11月26日 創世記12章1~4節

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「ハアブラム信仰出発」

 

「バベルの塔」の物語を学んでいきましょう。

今回から創世記は「アブラハムの物語」となります。

自分の故郷というのは、住みやすいモノです。ましてや、ハランの地は都会でしたし、アブラムの年齢は既に75歳、既にお爺ちゃんの年齢だったのです。慣れ親しんだ家を離れ、引っ越すのは簡単な事ではありません。

80歳以上の方々が現在引っ越すとなると、アパート、マンションは受け入れを拒否するそうです。この時代、後期高齢者を受けいれてくれるアパートは、ほとんどないと言っていました。 勿論、現在社会の引っ越しと、アブラムの時代の引っ越しという事は、比べる事の出来ないモノでしょう。まず車はありません。そして引っ越し屋さんいないのです。この時アブラムは既に75歳でした。しかし、彼は主によって告げられた言葉だけを信頼し、家族と家畜、家財道具、甥のロトを連れ、行先の分からない旅にでたのでありました。

 

第一ポイント 「アブラムの出発」

アブラムは信仰の父と呼ばれていますが、この12章を見る限りでは、あまり素晴らしい人には思えません。アブラムたちは移動して、カナンの地に着き、モレの樫の木の所で主から、「この地を与える」と語られ祭壇は築きましたが、彼らは更に南下して行きました。

そしてアブラムは、ベテルとアイの間の山、ネゲブ、そして飢饉が起きエジプトへと移動したのです。それらへの移動時は、アブラムは時に自己判断で移動した事も見て取れます。

 また、エジプトの地に移動した時には、妻のサライに対し「妹だと人々に言ってください」とも告げています。確かに、アブラムとサライは母親違いの兄弟だったそうですが、これは明らかに、夫婦である事を偽っています。

その為、妻のサライはエジプトの王パロに召し抱えられ、アブラムは沢山の財産を増やす事になっていきます。しかし、主はサライの為にエジプトの王に対し、災害を下し、サライは元へと戻される事となります。この様なアブラム75歳の信仰の出発を見るのなら、彼も普通の人間であったという事が理解できます。しかし主は、そんな不信仰なアブラムに対して罰は与えず、返って彼は祝福されていくのは、とても不思議であります。ロマ書では、神は、神を愛する者たちに、共に働いて万事を益にしてくださる方である事が告げられています。

主はすべてを通、アブラムに働きかけ、アブラムは神の御業を何度も経験する中、彼の信仰は主にあって成長させられたのであります。しかし、神の愛は変わる事なく私達と共にあり、良い事でも、悪い事であっても、全てを益としてくださる、この神を信じ、御声に従い信仰の一歩を今日、進めましょう。

 

第二ポイント 「目的地を定めての出発」

アブラムが主に告げられた時の事をよく聖書を読むと、実はアブラムは出発する時には、目的地が定まって出発しているという事に気付かされます。わたしたちは天の御国を目指す者として、主イエス・キリストをとし、その十字架の信仰を目的地として定め、今日また、信仰の歩みを進めようではありませんか。