12月3日 創世記14章18~24節

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「アブラムの什一」

 

このアブラムが什一献金をしたという話しは、東方の強国が、カナン地方の弱小国らを討伐する話しから始まります。どのカナンの弱小国には、ソドムとゴモラもあり、そこにはアブラムの甥ロトも住んでいました。このロトは、この戦争に巻き込まれ、東方の強国の捕虜となってしまいます。その時にアブラムは318人の手勢で、東方の世界屈指の強国連合軍に対して戦い勝利を得、そうして帰還した時、メルキゼデクがアブラムを祝福しに迎えでてくるのであります。メルキゼデクは、「天地を創造した、いと高き神」を崇拝する者であり、この神がアブラムに勝利をもたらしたのだと語り、「このいと高き神からの祝福を受けなさい」こうしてメルキゼデクはいと高き神の御名によりアブラムを祝福しました。そして、アブラムは祭司「メルキゼデク」に対し、戦利品の十分の1を与えた、それは旧約聖書で初めての献金の出来事です。ただ、アブラムは祭司メルキゼデクに対しては、謙遜を持って献金を捧げていますが、ソドムの王に対しては、そっけない態度です。あなたの財産を、何一つもらう事をしません。ただ、戦争で戦った時の食料と、援軍として働いた人たちへの分け前以外は、いらないといってアブラムは戦争で勝利したのにも関わらず、勝利品を取らなかった、これが創世記14章の出来事でありました。

 

第一ポイント「什一献金」

什一献金というのは、聖書で初めて出てきます。その名の通り、神から与えられた恵み全体の十分の1を感謝として献金するという事です。当時、イスラエルは建国されていません。決まった律法や法律もなかった時代であり、献金する決まりもなかったのです。

しかし、この戦いアブラムの勝利、これは誰にもたらされたモノでありましょうか?

それは、万軍の神であります。その勝利を自分の栄光にアブラムはしませんでした。彼は神の祝福に感謝という応答で、什一献金を捧げたのです。献金も、奉仕も、何かを得る為のモノではないのです。それは神の祝福と恵みを受けたモノだけが心の中に湧き上がってく感謝の気持ちを表すといった、神の恵みへの応答なのであります。我々に与えられていて、また、これからも永遠に与えられ続ける、神の祝福と恵みに、感謝の心から、自分たちのできる精一杯のモノを神に返す、そういった心で神に仕え、献金する者となりましょう。

 

第二ポイント「永遠のメルキゼデクへの献金」

メルキゼデクは新約聖書のヘブル書だけに、なんども出てきます。この人には、父も母もなく、生涯の初めも、いのちの終わりさえない神の子に似た存在、永遠に祭司として留まる者であるヘブル書は告げています。そこには、イエス様が、永遠のメルキゼデクに等しい大祭司となられ、幕屋に入られたとつげています。このイエス・キリストは十字架で死に、3日目に復活され、完全なる大祭司、そして自分自身が完全なる天への捧げ物となりました。この方を信じる者は、救われ、そして永遠の命を得ると聖書は告げており、死んでも生きる者となりました。それは完全なる勝利者となったのです。そうして勝利者となった者の生き方こそが、神による恵と祝福を求めて生きる勝利者として生きる者であり、それこそが信仰者の生き方であります。私たちは人からの栄光を求める者ではなく、神に栄光を返す勝利者として、感謝を持って主に私たちの献金、いや人生を捧げる者でありましょう。