1月7日 マタイ6:31~34

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「神の国と神の義」

この山上の説教は、イエス様が、彼に従ってきた人々に対して語った言葉であり、これはイエス・キリストに従い、信仰に歩む「クリスチャン」に対する御言葉であります。イエス・キリストを信じる者は、神にだけ仕えるモノである。その様なクリスチャンに対し、イエス様は何度も、「心配するな」と語るのであります。私たちクリスチャンが求めるべきモノ、それは「神の国とその義」を第一に求めれば、それと共に他のモノはすべての必要は神により与えられる事になると、イエス様は語るのです。

 

ポイント1「神の国」

これらの表現が,イエスの宣教と教えの中心をなす重要な言葉だそうです。神の国は、2千年前、イエス神の子が地上に現れた時、神の国も現れたと聖書では語ります。しかし、現実世界を見ると、神の平和はなく、国々は戦い私たちにも平安がないのが現実です。それは、神の国が完成していない為であります。その神の国の完成の時、それは主の日、終末であり、裁きの日であります。神の国が到来する時、その裁きの時には邪悪なモノが裁かれ、永遠に滅ぼされ、そして正しいモノは集められ、天の御国で祝福を受け、正しいモノは神の国に入り、永遠の命を受けることになるのであります。その日、全ての悪、この世を支配したサタンも滅ぼされるのであります。

その時に至るまで、神の御国に生きるモノとして、今日から永遠の命に生きる歩むモノとしていき様ではありませんか!

 

ポイント2「神の義」

義とは、法定的、裁判的で、悪人を断罪し正義を樹立することを意味し、聖書では「救い」を強調している。裁判と救いの双方の意味が、この「神の義」であります。最後の日、主の日に、すべてが裁かれるのでありますが、その時に全ての人は神の前に立ち、裁判を受けることとなり、その時に神が、その人を正しいモノ、義と宣言されるモノは、神の国に入れられ永遠の命が与えられます。しかし、正しくない不義な者と宣言される者、その人は永遠に滅びが与えられると聖書は語ります。私たち人は、完全なる神の国が地上にこられる、その前に、この神の義により救いを受け、神により正しいモノと宣言されなければならないのです。

私たちは、今日、自分の罪を悔い改め、主イエス・キリストを信じる信仰により救いを受け、神の国に、今日から永遠に生きるモノとして、生きようではありませんか!