1月21日 創世記17:1~11

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「アブラハム誕生」

そして、17章ではアブラムとサラに対し主は、とても多くの事を、しかも細部に渡り告げています。1節、2節では、主がアブラムに対して契約が結ばれる事となります。17章は主がアブラムと契約を結ぶ手続きをしているのであります。主からアブラムへの要求は「主の前を歩み、全き者である」という条件であり、その事により与えられるモノは、あなたを「おびただしく」増やすという事であります。全き者の証拠、契約者としての「しるし」(サイン)として、主は割礼をアブラムに求めています。また、今回のアブラムに対しても、この割礼とアブラハムという新しい名前が付与されたのであります。アブラハムという名は、多くの「国民の父」といった意味となります。そして、もう一つ重要な事、来年90歳になる「サラ」により、一人の男の子が生まれ、そうして国々の民の王達はそこから生まれるという事であります。

 

ポイント1 「全き者」

「神の前を歩み、全き者であれ。」

「我々は自分が正しい者として歩みたい。」我々はそう願っています。しかし、全き者、神の前に「完全な者」である、それは人である私達が出来る様な生き方なのでしょうか?中々難しいものでありましょう。マタイの福音書では、全き者とは、律法を完全に守る事、それは愛に生きる事と共に、全てを投げ打ち、天に宝を積む、そしてイエス・キリストに従うと告げてています。

私たちは、難しくとも、そう願い、今日、あゆみを一歩進めようではありませんか。

 

ポイント2 「新しい名前(霊的誕生日)」

割礼の儀式は、イスラエル民族にとってとても重要でした。それは神の民としての神との人の間にかわされた契約のしるしでありました。その契約のしるしが無い人を、無割礼の者たちとして、軽蔑されています。彼らは救いの過越しの祭りには参加できません。しかし、この様な宗教的な儀式である「割礼」は、時代と共に形だけのモノとなっていったという事も確かです。なぜなら、割礼で最も重要な事は、肉的な心を切り捨てる事であります。人間的な思いを切すて、心から神を愛し従う事が重要なのであります。私達は真の神の民、神の御前で新しく誕生した者として肉の思いに死んで、そしてキリストと共に復活した者となり、イエス・キリストのごとく、全き者とつくりかえられ、この2024年、新しい者として歩もうではありませんか!