4月14日 出エジプト 2:23〜25

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「モーセの80年」

 

モーセは全部で120歳まで生きたのでありますが、今回は彼の人生、特に80歳までの人生を中心に見て行きます。モーセはヘブル人のレビ家で生まれ、3ヶ月後にナイル川に流され、エジプト王の娘に拾われ40年間はエジプトの王宮の者として生活し、エジプト人を殺害、お尋ね者となって、砂漠のミデヤン人の地(シナイ半島)に逃れ、そこで結婚し40年間、羊飼いとしての人生を彼は過ごしたのであります。モーセの人生は寄留の人生そのものでした。また、彼はヘブル人の暑い心を持ち続け、自分の考える正しい信仰者としての期間を過ごしたと言えるのでしょう。しかし、このモーセの人生は、この後、神に出会い、また波乱万丈の人生を彼は歩む事になるのであります。主はこのモーセの生きた時代に、イスラエル民族が奴隷として働き、その辛い中に叫びを上げた時に、その叫びを主は聞かれ、このモーセを助け手とされました。そうして、モーセを通して主は今後、イスラエルに救いの業を示されるのであります。

 

第一ポイント 「モーセの生涯」

モーセは神の友と言われ、このモーセはキリストの前触れと言われるのであります。前にあった事、言葉などが繰り返される事を、「パラレル」と呼ばれますが、まさにモーセの生涯と、イエス・キリストの生涯は、このパラレルの様にしてつながっている所が見受けられます。その所から、私たちは主がなされる御業をみる事ができるわけです。神は何の力も持たない赤ん坊や、女性、80歳になり力を失ったかに見える老人であっても、神に従うモノに語りかけ、罪に苦しむ人々を救いへと導く方なのであります。神と共に歩むモノの人生は、このモーセ、そしてイエス様も同じく、苦難が多かった様に、神に従う現代の我々も苦難の生涯であるかもしれません。しかし、キリストに従う苦難の人生は、永遠のいのちに達するのであります。私たちはイエス・キリストに従う苦難を我が人生とし、弱い我々を神に委ね、大いなる救いの御技を主の御元で経験しようではありませんか!

 

第二ポイント 「叫びを聞かれる神」

神は、この様に苦難を思い起こされる方でもあります。先ほどのポイントではキリストの苦難を自分の人生とする。それはキリストの十字架を背負って歩み、永遠のいのちを得る者として歩む人生であります。しかし、人生に辛い事ばかりだと、心はめいってしまいますよね。でも神は、我々一人一人の苦しみや喜び等、全部を「神である主」はご存知であり、我々の叫びを主は思い起こされ、そして心に留められているという事も事実であります。福音書にも盲人バルテマイの叫びを聞かれ、イエス様は彼の目を癒されました。この様に、人々がバルテマイがイエスに叫びを上げた時、人々が黙らせようとする中、主は彼を呼び出し、その嘆きを聞き、あわれんでくださり、盲人は癒しを受けたのであります。

神は弱いモノの苦難を知り、その嘆きの声に心を留められ、嘆き、イエス・キリストの御名により祈る言葉を全て、その御心に留めておられるのであります。私たちは、叫びの祈りを持って主に祈ろうではありませんか!